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7月, 2017の投稿を表示しています

夏を生きるもの②

狂ほしく 羽を乱して 舞ふ蝶は 酷暑の今を 惜しみゐるごと (くるほしく はねをみだして まふちょうは こくしょのいまを をしみゐるごと)   日盛りの 庭の小さき 鉢の花 二匹の蝶の 静かに憩ふ (ひざかりの にはのちいさき はちのはな にひきのちょうの しづかにいこふ)   七年の 命は三日に 華やぎて 日の暮るるまで 蝉鳴き尽くす (しちねん の いのちはみっかに はなやぎて ひのくるるまで せみなきつくす )  

夏を生きるもの①

肩口を 掠め飛び去る 燕 黒き翼が 空を切り裂く (かたぐちを かすめとびさる つばくらめ くろきつばさが そらをきりさく)   耳元の チッと鋭き ひとこゑは 翼つぼめし 燕の一閃 (みみもとの ちっとするどき ひとこゑは つばさつぼめし つばめのいっせん)   一夏の 命を生くる ぎんやんま 羽を伸ばして 宙すべりゆく (ひとなつの いのちをいくる ぎんやんま はねをのばして そらすべりゆく)       年毎に酷暑の呼び声が高まっているように思いますが その暑さを命の源のように飛び回っている生き物がいます。 見ているとなんだかせつない・・・
葦毛馬に 金覆輪の 鞍置きて 敦盛最期は ただにかなしき (あしげうま に きんぷくりんの くらおきて あつもりさいごは ただにかなしき )   木曽殿と 生死をともに せし馬は 気性も荒き 連銭葦毛 (きそどのと せいしをともに せしうまは きしゃうもあらき れんぜんあしげ)   宇治川を 先陣競ひて 押し渡る 連銭葦毛の 銘は「いけづき」 (うじがわを せんじんきそひて おしわたる れんぜんあしげの めいはいけづき)       平家物語には連銭葦毛が高貴な人の乗馬として登場しますが、 金で飾られた豪華な鞍がおかれています。 平敦盛が須磨の海に乗り入れていく様子を描いた絵は連銭が印象的です。

ゴールドシップ②

人の手を 拒むしるしの 赤リボン 連銭葦毛の 飾りとも見ゆ (ひとのてを こばむしるしの あかりぼん れんぜんあしげの かざりともみゆ)   ゲートには 嫌な記憶の あるらしく 押せども引けども 馬は動かず (げーとには いやなきおくの あるらしく おせどもひけども うまはうごかず)   目隠しを すれば意外に おとなしく ゲートに入る 連銭葦毛 (めかくしを すればいがいに おとなしく げーとにはいる れんぜんあしげ)       ゴールドシップのように銭形模様の浮かび上がった葦毛を 古来、連銭葦毛と呼んでいました。 賢い馬として知られていました。 もっとも、当時の馬はサラブレッドではありませんが。  

ゴールドシップ①

日高なる 小さき牧に 生ひ育つ 連銭葦毛の 荒馬一頭 (ひだかなる ちひさきまきに おひそだつ れんぜんあしげの あらうまいっとう)   祖父馬の 葦毛受け継ぐ 若駒に ゴールドシップの 名は与へらる (そふうまの あしげうけつぐ わかこまに ごーるどしっぷの なはあたへらる)   するすると 他馬を抜き去り 先頭に 立てば抜かせぬ 野生の本能 (するすると たばをぬきさり せんとうに たてばぬかせぬ やせいのほんのう)       若い頃に競馬場に近い所に住んでいて競馬場でアルバイトをしたりしていましたが、 当時お気に入りだったのがメジロアサマという葦毛の天皇賞馬でした。 ゴールドシップは彼の玄孫にあたります。

新馬戦

新馬戦 幼さ残る 二歳馬の その走りこそ 命の担保 (しんばせん おさなさのこる にさいばの そのはしりこそ いのちのたんぽ)   生まれ持つ 個性は馬も それぞれを ただ勝てとのみ レースは求む (うまれもつ こせいはうまも それぞれを ただかてとのみ れーすはもとむ)   乳離れに 母を探して 駆け回り 声嗄るるまで 呼ぶ当歳馬 (ちばなれに ははをさがして かけまわり こえかるるまで よぶとうさいば)       二歳馬の新馬戦も始まっており、楽しく見ていますが 人間で言えば小学生の運動会を見ている気分です。   大人びて堂々と出場する馬もいれば、場に慣れずに緊張しまくっている馬もいたり 成長の違いは人も馬も同じだなぁと感じます。

嬉しいことがありました

二ヶ月で 母に逝かれし 当歳馬は 仲間の授乳 じっと見つむる (にかげつで ははにいかれし とねっこは なかまのじゅにゅう じっとみつむる)   年毎に 七千頭も 生まれ来て 勝ち星競ふ サラブレッドらは (としごとに ななせんとうも うまれきて かちぼしきそふ さらぶれっどらは)   三歳の 未勝利戦も あと僅か 命を繋ぐ 勝利を目指す (さんさいの みしょうりせんも あとわづか いのちをつなぐ しょうりをめざす)       好きで拝見している「風の牧場」というブログで、 2014 年に生まれ生後 2 か月で母馬を失った仔馬を知り ずっと応援していましたが、そのトーホウレジーナが 7 月 16 日の未勝利戦で無事に勝ち上がりました。   中央競馬で勝ち上れる馬は、生まれた仔馬の 1 割くらいなのに 生育の過程を思うと奇跡のようです。  

友が病んで

再発の 癌と闘ふ 友に会ひに 早朝発の 「のぞみ」に乗れり   (さいはつの がんとたたかふ ともにあひに そうちょうはつの のぞみにのれり)   お気楽な 主婦のランチと お茶の刻 であるかのごとく 病む友見舞ふ   (おきらくな しゅふのらんちと おちゃのとき であるかのごとく やむともみまふ)   たくさんに 孫や娘の 事話す 友は未来に ついては言はず   (たくさんに まごやむすめの ことはなす ともはみらいに ついてはいはず)       先に逝った友人もいます。 きれいに取れたはずの大腸癌が 5 年後に再発し 覚悟を決めていた友人でした。   お見舞いとは言わずにおしゃべりにいきましたが、 主婦が病むと自宅にうかがうのは遠慮で、近くのお店でした。

癌の宣告

生れしより 時限装置の あることを 癌の宣告 受けて悟りぬ (あれしより じげんそうちの あることを がんのせんこく うけてさとりぬ   子等のため 残すべきもの 選びつつ 思へば捨つる 物の多かり (こらのため のこすべきもの えらびつつ おもへばすつる もののおおかり)   身の内の 時限装置を 思ひつつ 雑事あれこれ 片づくる日々 (みのうちの じげんそうちを おもひつつ ざつじあれこれ かたづくるひび)       終活のはじめと、物を整理し始めたのですが何だかガラクタばかり・・・  

染付の器

残る日々 心に染むる 器のみ 身近に置きたし 選り分けて捨つ   (のこるひび こころにしむる うつはのみ みぢかにおきたし えりわけてすつ)   皿小鉢 選り分け取りて 並ぶれば 食器の棚は 青色に染む   (さらこばち えりわけとりて ならぶれば しょっきのたなは あおいろにそむ)   代々に 受け継ぎ残る 皿小鉢 祥瑞に偲ぶ 祖母の面影   (だいだいに うけつぎのこる さらこばち しょんずいにしのぶ そぼのおもかげ)       実家には祥瑞や金襴手の食器が数多くありましたが、 中でも祥瑞が祖母のお気に入りでした。きらきらしいものは嫌いだったようです。 そのほとんどは阪神の震災でなくなりましたが、新しく買う時もなぜか染付に惹かれます。  

心のさすらい

暗き道 暗き道へと 選びとる この吾が性は 何処より来しや (くらきみち くらきみちへと えらびとる このわがさがは いづこよりきしや)   ここじゃない ここじゃない場所 求め来し 宿命なるらむ 我がさすらひは (ここじゃない ここじゃないばしょ もとめきし さだめなるらむ わがさすらひは)   人が皆 実りの日々に 見えし時 吾がさすらひの 来し方思ふ (ひとがみな みのりのひびに みえしとき わがさすらひの きしかたおもふ)       どんな言いわけをしても不倫は不倫です。

妻ある人と

思ひきや 未だ残れる 恋力 燠火もいつか 焔となりぬ (おもひきや いまだのこれる こひぢから おきびもいつか ほむらとなりぬ)   吾がために 妻を欺き 出で来ませ 心震はせ 駅にて待てば (わがために つまをあざむき いできませ こころふるはせ えきにてまてば)   心をば 預けて溺れ 漂へば 果ては奈落と 決まりしものを (こころをば あずけておぼれ ただよへば はてはならくと きまりしものを)       私の方は離婚して十数年、 介護の必要な母や成人していてもまだ手許に子どもが二人、 ひとときの癒しを求めていただけでした。

夢まぼろし

取り交わす やさしき文は いにしへの 相聞歌なり メールにのせて ( とりかはす やさしき文は いにしへの さうもんかなり メールにのせて )   大いなる 手に守らるる 心地して 少女のごとく 一夜すごしぬ (おほいなる てにまもらるる ここちして しょうじょのごとく ひとよすごしぬ)   春うらら 霞のうちに 去りし人 夢まぼろしの 一夜残して (はるうらら かすみのうちに さりしひと ゆめまぼろしの ひとよのこして)       かれこれ一年近くメールや電話でのやり取りがあり ともに見たいものがあったのでお会いしましたが、 不思議な出会いになりました

バーチャルの世界

バーチャルの 仮面を脱ぎて 出逢ひたし 君を求める 心はリアル (バーチャルの かめんをぬぎて であひたし きみをもとめる こころはリアル)   メールといふ かぼそき糸の 向かうには 君の確かな 息づかひあり (メールといふ かぼそきいとの むかうには きみのたしかな いきづかひあり)   いかにせむ まだ見ぬ人に つのる思慕 心は既に 抜き差しならず (いかにせむ まだみぬひとに つのるしぼ こころはすでに ぬきさしならず)       愛しい方との出逢いは SNS でした なんか怪しい・・・と思われる方もあるでしょうが 昔も雑誌のペンパル求むってありましたよね